今日は南仏シャトーヌフ・デュ・パプに拠点を置く超優良ドメーヌ、
ドメーヌ・ド・ラ・ジャナスで最も売れているワインを彼らの歴史を少し紐解きながらご紹介致します。
ドメーヌ・ド・ラ・ジャナスは、
シャトーヌフ・デュ・パプのアペラシオンにおけるエリート生産者で、
この四半世紀の間に、シャトーヌフ・デュ・パプで最も高く評価されているドメーヌのひとつとなっています。
クリストフ・サボンとイザベル・サボン兄妹が率いるこのドメーヌは、
伝統的な手法と現代的な手法の両方の長所を融合させて見事に昇華させています。
テロワールに忠実なシンプルで高価値のIGPやコート・デュ・ローヌ、
そして彼らのフラッグシップであるハイエンドのシャトーヌフ・デュ・パプまで、
実に幅広く魅力的なワインのコレクションを、
ヴィンテージの出来に左右されず、毎年、高いクオリティで世に送り出しています。
ドメーヌの起源は、
1912年にフェルディナン・サボン(Ferdinand Sabon)によって植えられた、
わずか5ヘクタールの小さなブドウ畑にあり、
その後、彼の息子たちに引き継がれましたが、
当時はよくあったように、地元の協同組合にブドウを売っていました。
大きな転機となったのは1967年、
ドメーヌの開祖で先代Aimé Sabon(エメ・サボン)が
兵役から戻り、
父親のブドウ畑を引き継いでからでした。
当時、所有畑には古い樹齢のブドウが多くありました。
しかし、
当時は誰もが
過去に囚われた人のように
閉塞感に包まれていたそうです。
だからこそ、
エメ・サボンはブドウを協同組合に持ち込んでいた父親と、
ネゴシアンである祖父からブドウ畑を引き継いだとき、
過去に縛られず、自分の望む新しい道を進む事を決意したのです。
そして、まず彼が望んだのは、
シャトーヌフ・デュ・パプに独立したドメーヌを持つことでした。
そして1973年、エメは待望の自分のセラーを建設しました。
ドメーヌ・ド・ラ・ジャナスは、
Courthézon(クルテゾン)の「LA JANASSE(ラ・ジャナス)」という地区にあった
家族の農園にちなんで名づけられました。
エメはどんな困難にも立ち向かうことが出来るチャレンジ精神にあふれる男で、
受け継がれたものを、ただ受け容れるのではなく、
今ある事に疑問を持ち、時代に合った考えを実際に実行し、やり遂げる力を持っていました。
彼の造る素晴らしいワインによって、
ドメーヌの名声は瞬く間に確立され、国内外に顧客ができました。
その自信の根底にあったのは、
テロワールを始めとしたモザイク状に張り巡らされた複雑な土壌の素晴らしさでした。
その素晴らしさを知っていたからこそ、新しい区画を取得してドメーヌを拡大したいと考えました。
設立当初は15ヘクタールでしたが、現在では90ヘクタールを超えるまでになりました。
真面目な彼の仕事が評価されたからこそ、ここまで大きく出来たのです。
ドメーヌ・ド・ラ・ジャナス
1991年、エメの長男であるChristophe Sabon(クリストフ・サボン)は、
ブルゴーニュのボーヌでブドウ栽培とワイン醸造を学び、
マコンでマーケティングを学んだ後、ジャナスに戻り、
責任者としてエメからセラーの鍵を渡されました。
それは自分と同じ様にクリストフにも自由に未来を創造できるようにとの思いからでした。
エメは息子のワイン造りには口を出さず、畑仕事を今も楽しんでいます。
クリストフはドメーヌ全体の土壌をさらに細かく分析し、
60以上の独立した、しかし近接した区画の品質を生かしたキュヴェを造ることで、
個々の持つテロワールの魅力を追及して来ました。
それは父の時代と、大きく離れているわけではありません。
クリストフは父と同じ様に「植物の声に耳を傾ける」ことを大切にしているのです。
クリストフが引き継いで以降も、さまざまなキュヴェが開発され、その度に新しい市場が開拓されました。
それは彼の造るワインも広く認められた証でもあります。
2001年には、エメの娘で、
クリストフの妹でもあるIsabelle(イザベル)がトゥールーズ大学を卒業し、
ワイン醸造家としてチームに加わりました。
エメの妻であるHélène(エレーヌ)とともに、家族は再びラ・ジャナスに集ったのです。
彼らは、毎日のテイスティングと今後の方向性をもとに、
それぞれの区画で複雑なブレンドをすることで、現在の地位を築いたのです。
(つづく)